2021年03月10日

邪馬台国3

邪馬台国は、伊都国であった吉野ヶ里遺跡から南に水行十日。

現在のどこか。

熊本と仮定する。

そして完全に個人的な感情だけど、熊本市の南にある塚原古墳群を推す。

塚原古墳群は高台にあり、そこには卑弥呼がいた。

その北側を中心に広がる田園地帯が、邪馬台国の中心部だった。

有明海から、熊本市を流れる緑川に入って遡っていくと、ここ、邪馬台国に到着だ。

ちょうど伊都国=吉野ヶ里遺跡から水行十日、陸行一月。



東村山市栄町1-2-12 3F
久米川木内ボクシングジム
042-395-0311


posted by kiuchi at 15:39| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

邪馬台国2

伊都国=吉野ヶ里遺跡から水行十日、陸行一月で邪馬台国に着く。

そこはどこだろう。

ここで一つの説、「邪馬台国=熊本の阿蘇」というのが夢のあるものだったので、仮にそことする。

活火山、阿蘇山の麓は、シャーマン卑弥呼の居る場所としてしっくりくる。

阿蘇までは、吉野ヶ里から筑後川を下り、有明海を南下して、今度は熊本のどこからか川を遡る。

水行十日ということだから、距離的にも合うんじゃないだろうか。

陸行ルートはわからないけど、山越えとかあって大変そうだ。

水行と比べて三倍の時間がかかる。


でも個人的に一番推してるというか、ここだったらいいな、という願望は、熊本市の南にある塚原古墳群だ。


つづく



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posted by kiuchi at 15:11| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

邪馬台国1

久しぶりに邪馬台国を考える。

邪馬台国へのルートは

帯方郡 (ソウル近辺)→ 狗邪韓国 (釜山近辺)→ 対馬国 (対馬)→ 一大国 (壱岐)→ 末盧国 (唐津近辺)→ 伊都国 → 奴国 → 不弥国 → 投馬国 → 邪馬台国

末盧国までは大体の場所わかるけど、問題はそこから先。

釜山から対馬、壱岐、唐津までそれぞれ一海千余里づつ、そこから東南に陸行五百里で伊都国。

末盧国より先の伊都国からは説がありすぎてわからなくなる。

その中の一つの説は、伊都国=吉野ヶ里遺跡だ。

確かに、唐津から東南に国道を進むと、吉野ヶ里の方向に行く。

伊都国を吉野ヶ里遺跡とするのはピッタリで、夢が広がる。

そしてここから先、魏志倭人伝での書き方が変わる。

伊都国を中心に、そこから奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国までの行程を示している書き方になる。

吉野ヶ里遺跡から東南に百里行くと奴国、東に百里行くと不弥国、南に水行で二十日行くと投馬国に着く。

そして南に水行で十日、歩いて一ヶ月行くと邪馬台国。

九州の地図を見てみる。

吉野ヶ里からだと、船で行く場合は筑後川を下って有明海に出て南下していく。

筑後川を川下りしていくような船だから、小さな船で、陸沿いに離れないように進むんだろう。

船というより、筏みたいなものかもしれない。

それで10日進む。


つづく



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posted by kiuchi at 10:37| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする