2023年06月16日

吉野ヶ里遺跡再発掘7

吉野ヶ里遺跡を見ると、自分だけじゃなくほとんどの人が思い浮かべるであろう邪馬台国の姿そのものだ。

魏志倭人伝に書かれていることをそのまま復元した姿がある。

吉野ヶ里遺跡に実際に行って見るまでは、「邪馬台国はどこにあったのか」ということに興味があった。

たくさん本も読んだ。

でも行ってみて、考えが変わった。

なんだか、全てひっくり返されたような衝撃があった。

邪馬台国がどこかというよりも、魏志倭人伝に描かれていた通りのものがあるというのが感動的だった。



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2023年06月14日

吉野ヶ里遺跡再発掘6

石棺の底まで土は掘られた。

女性が入れるような小柄サイズに数100キロもある石蓋で覆われ、底も赤く塗られていたということで、特別な人物が葬られていたんだろう。

人骨など有機物は土還ってしまっている。

結局何も出てこず、真相は闇の中だ。

でも日本最大の弥生時代の環濠集落から、一番見晴らしのいい高台に邪馬台国、卑弥呼の時代の独立した特別な石棺墓が見つかった。

このことは大きい。

あとは自分で妄想を膨らませて楽しむとしよう。

吉野ヶ里行きたい。



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2023年06月13日

吉野ヶ里遺跡再発掘5

だいぶ掘り進められた。

石棺の中の土砂が取り除かれていく。

内部は赤色に塗られていたことがわかり、埋葬されたのは特別な人物だと考えられる。

まもなく、いよいよ最後の底が表れる。

明日か。

何か出てくるのか。

土で埋まってたから、人骨はさすがに残ってないだろう。

埋葬品があることを願う。



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2023年06月12日

吉野ヶ里遺跡再発掘4

概要がわかってくるという今週は楽しみだ。

邪馬台国は大和に移って大和朝廷になったと思ってるけど、卑弥呼の時代は吉野ヶ里だったと思ってる。

そもそも邪馬台はヤマトと読める。

卑弥呼の次の次の女王は台与で、トヨと読んでる。

実際使ってた台はもっと難しい字だけど、どっちにしら邪馬台の台と台与の台は同じだ。


まあともかく、実際に行ってみた吉野ヶ里遺跡は、魏志倭人伝に書かれていた通りの場所そのものだった。



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2023年06月10日

吉野ヶ里遺跡再発掘3

石棺墓を調査する作業が進められている。

慎重に土砂を取り除いていって、石棺内部のサイズは幅36センチというのがわかった。

これは女性サイズっぽい。

おお!さらに卑弥呼に近づいたんじゃないか。

と思ったけど、この時代は男でも小さいから、これだけで女性かどうかわからない。

先走って興奮してしまった。

もっと落ち着かなければならない。

来週中には概要が明らかになってくるというから、待とう。



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2023年06月08日

吉野ヶ里遺跡再発掘2

今か今かと新しいニュースを待っている。

神社があったため、今まで手がつけられていなかった「謎のエリア」の発掘調査。

今まであった「歴代王の墓」よりさらに高い位置で、吉野ヶ里の地域全体が見渡せるところで見つかったのが、独立した石棺墓。

誰もが興奮する。

この状況からして、埋葬者は「卑弥呼」が十分考えられる。


この石棺が今週開けられ、調査が始まっている。

石棺の中は土砂で埋まってたから、時間はかかりそうだ。

来週には概要がわかるという話もあった。



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2023年06月06日

吉野ヶ里遺跡再発掘

昨年、吉野ヶ里遺跡に行った。

そこで見たのは、邪馬台国そのものだった。

魏志倭人伝に記された邪馬台国の姿があった。

高い物見櫓、巨大な祭殿、竪穴式住居、高床式倉庫など、様々な建物があり、城柵、堀に囲まれた広大な環濠都市。

ここに来たことで、邪馬台国の場所は、自分の中では確定した。

少なくとも魏志倭人伝に書かれている邪馬台国は、吉野ヶ里のことだ。

もちろんその後、都を移したりする遷都もあるだろうし、いつまでもそこが邪馬台国の中心部なわけはない。

肝心なのは、女王卑弥呼のいた場所がそこということだ。


問題は、丘の上にある、歴代王の墓といわれる北墳丘墓の時代だ。

弥生時代前期から中期と、後期の卑弥呼より時代が早い。


しかし、その隣の更に高い場所に、まだ未発掘の「謎のエリア」があった。

そこは神社があったため、今まで手がつけられずにいたのだった。

ところが神社が移転し、昨年ついに謎のエリアが発掘されることになった。

すると弥生時代後期、卑弥呼の時代の甕棺が続々と出てきた。

そして一番高い見晴らしのいい場所に、独立した石棺墓が見つかった。

これこそ卑弥呼の墓だ!、と興奮してしまった。

その石棺墓のフタが昨日、開けられた。

中は土砂で埋まってたということなので、形の残ってるものは少ないかもしれない。

これから調査を進めていって、何がわかってくるか。

夢が膨らむ。



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2021年03月20日

邪馬台国16

高句麗から亡命してきた人々は、ツングース系北方騎馬民族。

白村江の戦いの後に滅亡した百済は、倭人と北方騎馬民族が共存していて、ここからも大勢亡命してきている。

元々、倭人と北方騎馬民族のルーツは同じだから、日本は同胞の地と言える。

つまり高句麗、百済、倭は、元を辿れば同じ民族だ。

今でいうと、日系ブラジル人や日系アメリカ人のような感じだろう。


倭はクーデターにより日本になってるから、この時点で、漢民族の唐、朝鮮民族の新羅、ツングース系民族の日本、という構図ができあがった。



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2021年03月19日

邪馬台国15

高句麗は滅びた時に、王族を含めた大勢の人々が日本に亡命してきた。

そして現在の埼玉県日高市に、亡命政権を立てた。

なんといっても高句麗の王、若光がここにいる。

この自治区は拡大していき、一時は相当な範囲に広がった。


この亡命政権の中心があった場所には、現在高麗神社が建っていて、若光を主祭神として祀っている。

ここは強力なパワースポットだ。


高句麗の末裔のツングース系民族は、高句麗が滅びてから1000年近く後のことになるけど、清を建国。

漢民族の中国全てを支配した。



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邪馬台国14

「白村江の戦い」を経て、唐の後ろ盾を得てできた国、「日本」。

ちょうど同じ頃、唐は朝鮮半島にも統一国家「新羅」を誕生させている。


朝鮮半島には高句麗、百済、新羅、任那があった。

高句麗はツングース系の北方民族、新羅は朝鮮民族、百済と任那は倭人。

唐は新羅を援助してパートナーにし、朝鮮半島の拠点とした。

そして高句麗、百済、任那を駆逐する。

百済と任那は「白村江の戦い」で滅亡。

唐にとって、国境を接した長年の天敵である北方民族が、高句麗。

長い間、脅威だった高句麗だけど、突然後ろから新羅に攻め込まれると、あっさり崩れてしまった。

挟み撃ちになったとはいえ、ここまで長年、唐が落とせなかった高句麗が短期間であっけなく滅びてしまうとは、何かある。



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2021年03月18日

邪馬台国13

倭と大和朝廷が滅び、日本が誕生したことについて、「白村江の戦い」と、「大東亜戦争」を比較して考える。

唐とアメリカという、共に当時世界No.1の大国に、完膚なきまでに叩きのめされたという事実は全く同じ。

とすると、戦後に進駐軍が来ることが考えられる。


この時の大和朝廷トップは、天智天皇。

マッカーサー率いるGHQの如く、唐から進駐軍がやって来た。

天智天皇は近江に逃げて、拠点をそこに移して抵抗する。

GHQによって作られた新政府軍は、大海人皇子軍。

大海人皇子は元々、大和朝廷に反旗を翻すレジスタンスで、吉野に逃げて隠れていた。

ここで進駐軍の後ろ盾を得て、形勢逆転。

大和朝廷軍を追い詰めていく。

序盤で天智天皇は殺され、息子の大友皇子が跡を継いで抵抗したが、最後は力尽きた。

進駐軍の指導の下、新たに「日本」という国を作り、大海人皇子は天武天皇として即位した。



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邪馬台国12

大和朝廷が滅亡し、日本が起こったクーデター「壬申の乱」。

これはもしかしたら、クーデターじゃなくて革命だった可能性もある。


革命だった場合を考える。


1 白村江の戦いで、倭と組んで参戦した。

2 人、金、モノを注ぎ込んだこの政策は、大失敗ということになった。

3 これで国民の信頼は失われた。

4 唐の報復に備えるため、さらに人、金、モノを注ぎ込んで国防施設を作ったり、都を移すまでした。

5 遷都は奈良県の飛鳥から、滋賀県の近江へ。

6 国民に相当な負担を強いることになり、不満は限界に達し、爆発。


これが革命バージョンのシナリオ。

奈良から滋賀への遷都は、なんか怪しいと思ってる。

何かあったな。



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邪馬台国11

クーデター「壬申の乱」で大和朝廷を奪ったのは、のちの天武天皇。

そして国名を「日本」とした。

結局のところ、大和朝廷も「白村江の戦い」の影響で滅んでしまったということになる。

倭も大和朝廷も滅亡し、673年、新しい国「日本」が誕生した。


ちなみに大和朝廷最後の王、天智天皇もクーデターで政権を取っている。

これが「乙巳の変」と呼ばれるクーデター。

こういう風に「大和朝廷」と一つにまとめてるけど、実体は何度も変わっている。

有名なところだと、507年に即位した継体天皇。

ここもクーデターが起こっている。



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邪馬台国10

倭が滅亡するきっかけとなった「白村江の戦い」は、卑弥呼の時代よりも400年後のこと。

邪馬台国はとっくに「倭の中に数ある小国の一つ」に落ちているから、もう表舞台に立つことはない。


それまでは、本家の『倭』と「分家」の大和朝廷は並立していて、うまくやっていた。

分家といっても、「白村江の戦い」の頃にはもう1300年以上の歴史があるから、そういう感覚はないだろう。

ちなみに今から1300年前というと、聖徳太子の時代だ。


倭が国の命運を賭けた「白村江の戦い」に敗れ、倭の味方だった大和朝廷は相当苦しい立場になった。

ここでクーデターが起き、政権が交代する。

これが「壬申の乱」。



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邪馬台国9

先週書いた邪馬台国シリーズを、もうちょっと続ける。


「邪馬台国の卑弥呼 vs 大和朝廷の神功皇后」

からもわかる通り、この頃はまだ大和朝廷は九州を中心とした倭国と対立しており、日本を統一していない。

元々、大和朝廷とは、倭国の一旗上げようとする人々が、日向から紀伊半島へ渡り、現地を征服してできた国。

イギリスから独立してできたアメリカみたいなものだ。

そしてイギリスが第一、二次世界大戦で疲弊し、アメリカが台頭してきたようなことが起こった。

この世界大戦に当たるのが、倭が百済と組んで唐・新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」。

この国の命運を賭けた世紀の戦いで、倭・百済は敗れた。

これ以降、日本=倭から、日本=大和朝廷になる。



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2021年03月12日

邪馬台国8

卑弥呼vs神功皇后、倭vs大和、女二人の対立は続いていた。

やがて卑弥呼は没するが、独身で子はいないから、世襲はない。

邪馬台国の王位継承争いが起こった。

結局、台与という女性を立てて内乱は収まったけど、疲弊してしまい、倭国の中に数ある小国の一つに落ちた。

266年、台与は「晋」に使いを送って、邪馬台国を立て直そうとしている。

(「晋」は司馬炎が「魏」を乗っ取って建てた国で、中国を統一した。)



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邪馬台国7

話は中国の方へいってしまったから、また日本に戻す。

九州に倭国、邪馬台国があり、そして当然、奈良には大和朝廷があった。

神武天皇から始まって、この頃でもう900年の歴史があった。

そして199年、第14代仲哀天皇率いる大和朝廷軍が倭国に攻め入ってきた。

卑弥呼が若かりし頃の邪馬台国は、それを撃退。

200年、仲哀天皇は戦死する。

それから天皇の代わりを務めたのは、妻の神功皇后だった。

以降数十年、卑弥呼と神功皇后、女二人の対立は続く。



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邪馬台国6

魏・呉・蜀が天下を三つに分けた三国時代。

黄河流域にある「中原」は、魏にあった。

ここは中国で最も重要な地帯で、ここを押さえてるのに中国を統一できなかったのは、呉と蜀がものすごく優秀だったからだろう。


三国志は、主に蜀の目線で書いてあった。

蜀は、「天下三分の計」という戦略をとり、見事に三国時代に引きずり込む。

”三つ巴の状態で均衡を保ち、時が来るのを待つ”

こんなふうに言うのは簡単だけど、3国の中で一番力のない蜀がこれを実現させることほど難しいことはない。

そして三国時代は40年以上続いた。



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2021年03月11日

邪馬台国5

邪馬台国のことが書かれているのは、魏志倭人伝。

この、「魏」について考える。

昔に読んだ、三国志を思い出すことにする。

中国統一に必須の「中原」を抑えていた魏は、結局は三国を統一し、三国時代を終わらせた。

といっても、魏がそのまま統一王朝になったわけじゃなく、魏という国は家臣に乗っ取られて、国名は「晋」になっている。


卑弥呼が使いを出した時の、魏の皇帝は、第二代の曹叡。

魏は第五代の曹奐まで続くけど、実権があった皇帝はこの第二代までだろう。

ナンバー2の司馬氏が力を持ち、事実上ナンバー1になっている。

名目上ナンバー1の曹氏は、傀儡のようなものになった。

最後は曹奐が司馬炎に禅譲させられる。

つまり強制的に国を譲らされた。



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2021年03月10日

邪馬台国4

塚原古墳群

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