2021年03月20日

邪馬台国16

高句麗から亡命してきた人々は、ツングース系北方騎馬民族。

白村江の戦いの後に滅亡した百済は、倭人と北方騎馬民族が共存していて、ここからも大勢亡命してきている。

元々、倭人と北方騎馬民族のルーツは同じだから、日本は同胞の地と言える。

つまり高句麗、百済、倭は、元を辿れば同じ民族だ。

今でいうと、日系ブラジル人や日系アメリカ人のような感じだろう。


倭はクーデターにより日本になってるから、この時点で、漢民族の唐、朝鮮民族の新羅、ツングース系民族の日本、という構図ができあがった。



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posted by kiuchi at 11:50| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

2021年03月19日

邪馬台国15

高句麗は滅びた時に、王族を含めた大勢の人々が日本に亡命してきた。

そして現在の埼玉県日高市に、亡命政権を立てた。

なんといっても高句麗の王、若光がここにいる。

この自治区は拡大していき、一時は相当な範囲に広がった。


この亡命政権の中心があった場所には、現在高麗神社が建っていて、若光を主祭神として祀っている。

ここは強力なパワースポットだ。


高句麗の末裔のツングース系民族は、高句麗が滅びてから1000年近く後のことになるけど、清を建国。

漢民族の中国全てを支配した。



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posted by kiuchi at 13:56| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

邪馬台国14

「白村江の戦い」を経て、唐の後ろ盾を得てできた国、「日本」。

ちょうど同じ頃、唐は朝鮮半島にも統一国家「新羅」を誕生させている。


朝鮮半島には高句麗、百済、新羅、任那があった。

高句麗はツングース系の北方民族、新羅は朝鮮民族、百済と任那は倭人。

唐は新羅を援助してパートナーにし、朝鮮半島の拠点とした。

そして高句麗、百済、任那を駆逐する。

百済と任那は「白村江の戦い」で滅亡。

唐にとって、国境を接した長年の天敵である北方民族が、高句麗。

長い間、脅威だった高句麗だけど、突然後ろから新羅に攻め込まれると、あっさり崩れてしまった。

挟み撃ちになったとはいえ、ここまで長年、唐が落とせなかった高句麗が短期間であっけなく滅びてしまうとは、何かある。



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2021年03月18日

邪馬台国13

倭と大和朝廷が滅び、日本が誕生したことについて、「白村江の戦い」と、「大東亜戦争」を比較して考える。

唐とアメリカという、共に当時世界No.1の大国に、完膚なきまでに叩きのめされたという事実は全く同じ。

とすると、戦後に進駐軍が来ることが考えられる。


この時の大和朝廷トップは、天智天皇。

マッカーサー率いるGHQの如く、唐から進駐軍がやって来た。

天智天皇は近江に逃げて、拠点をそこに移して抵抗する。

GHQによって作られた新政府軍は、大海人皇子軍。

大海人皇子は元々、大和朝廷に反旗を翻すレジスタンスで、吉野に逃げて隠れていた。

ここで進駐軍の後ろ盾を得て、形勢逆転。

大和朝廷軍を追い詰めていく。

序盤で天智天皇は殺され、息子の大友皇子が跡を継いで抵抗したが、最後は力尽きた。

進駐軍の指導の下、新たに「日本」という国を作り、大海人皇子は天武天皇として即位した。



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邪馬台国12

大和朝廷が滅亡し、日本が起こったクーデター「壬申の乱」。

これはもしかしたら、クーデターじゃなくて革命だった可能性もある。


革命だった場合を考える。


1 白村江の戦いで、倭と組んで参戦した。

2 人、金、モノを注ぎ込んだこの政策は、大失敗ということになった。

3 これで国民の信頼は失われた。

4 唐の報復に備えるため、さらに人、金、モノを注ぎ込んで国防施設を作ったり、都を移すまでした。

5 遷都は奈良県の飛鳥から、滋賀県の近江へ。

6 国民に相当な負担を強いることになり、不満は限界に達し、爆発。


これが革命バージョンのシナリオ。

奈良から滋賀への遷都は、なんか怪しいと思ってる。

何かあったな。



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邪馬台国11

クーデター「壬申の乱」で大和朝廷を奪ったのは、のちの天武天皇。

そして国名を「日本」とした。

結局のところ、大和朝廷も「白村江の戦い」の影響で滅んでしまったということになる。

倭も大和朝廷も滅亡し、673年、新しい国「日本」が誕生した。


ちなみに大和朝廷最後の王、天智天皇もクーデターで政権を取っている。

これが「乙巳の変」と呼ばれるクーデター。

こういう風に「大和朝廷」と一つにまとめてるけど、実体は何度も変わっている。

有名なところだと、507年に即位した継体天皇。

ここもクーデターが起こっている。



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邪馬台国10

倭が滅亡するきっかけとなった「白村江の戦い」は、卑弥呼の時代よりも400年後のこと。

邪馬台国はとっくに「倭の中に数ある小国の一つ」に落ちているから、もう表舞台に立つことはない。


それまでは、本家の『倭』と「分家」の大和朝廷は並立していて、うまくやっていた。

分家といっても、「白村江の戦い」の頃にはもう1300年以上の歴史があるから、そういう感覚はないだろう。

ちなみに今から1300年前というと、聖徳太子の時代だ。


倭が国の命運を賭けた「白村江の戦い」に敗れ、倭の味方だった大和朝廷は相当苦しい立場になった。

ここでクーデターが起き、政権が交代する。

これが「壬申の乱」。



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posted by kiuchi at 16:49| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

邪馬台国9

先週書いた邪馬台国シリーズを、もうちょっと続ける。


「邪馬台国の卑弥呼 vs 大和朝廷の神功皇后」

からもわかる通り、この頃はまだ大和朝廷は九州を中心とした倭国と対立しており、日本を統一していない。

元々、大和朝廷とは、倭国の一旗上げようとする人々が、日向から紀伊半島へ渡り、現地を征服してできた国。

イギリスから独立してできたアメリカみたいなものだ。

そしてイギリスが第一、二次世界大戦で疲弊し、アメリカが台頭してきたようなことが起こった。

この世界大戦に当たるのが、倭が百済と組んで唐・新羅連合軍と戦った「白村江の戦い」。

この国の命運を賭けた世紀の戦いで、倭・百済は敗れた。

これ以降、日本=倭から、日本=大和朝廷になる。



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posted by kiuchi at 15:43| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

2021年03月12日

邪馬台国8

卑弥呼vs神功皇后、倭vs大和、女二人の対立は続いていた。

やがて卑弥呼は没するが、独身で子はいないから、世襲はない。

邪馬台国の王位継承争いが起こった。

結局、台与という女性を立てて内乱は収まったけど、疲弊してしまい、倭国の中に数ある小国の一つに落ちた。

266年、台与は「晋」に使いを送って、邪馬台国を立て直そうとしている。

(「晋」は司馬炎が「魏」を乗っ取って建てた国で、中国を統一した。)



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posted by kiuchi at 10:29| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

邪馬台国7

話は中国の方へいってしまったから、また日本に戻す。

九州に倭国、邪馬台国があり、そして当然、奈良には大和朝廷があった。

神武天皇から始まって、この頃でもう900年の歴史があった。

そして199年、第14代仲哀天皇率いる大和朝廷軍が倭国に攻め入ってきた。

卑弥呼が若かりし頃の邪馬台国は、それを撃退。

200年、仲哀天皇は戦死する。

それから天皇の代わりを務めたのは、妻の神功皇后だった。

以降数十年、卑弥呼と神功皇后、女二人の対立は続く。



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邪馬台国6

魏・呉・蜀が天下を三つに分けた三国時代。

黄河流域にある「中原」は、魏にあった。

ここは中国で最も重要な地帯で、ここを押さえてるのに中国を統一できなかったのは、呉と蜀がものすごく優秀だったからだろう。


三国志は、主に蜀の目線で書いてあった。

蜀は、「天下三分の計」という戦略をとり、見事に三国時代に引きずり込む。

”三つ巴の状態で均衡を保ち、時が来るのを待つ”

こんなふうに言うのは簡単だけど、3国の中で一番力のない蜀がこれを実現させることほど難しいことはない。

そして三国時代は40年以上続いた。



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2021年03月11日

邪馬台国5

邪馬台国のことが書かれているのは、魏志倭人伝。

この、「魏」について考える。

昔に読んだ、三国志を思い出すことにする。

中国統一に必須の「中原」を抑えていた魏は、結局は三国を統一し、三国時代を終わらせた。

といっても、魏がそのまま統一王朝になったわけじゃなく、魏という国は家臣に乗っ取られて、国名は「晋」になっている。


卑弥呼が使いを出した時の、魏の皇帝は、第二代の曹叡。

魏は第五代の曹奐まで続くけど、実権があった皇帝はこの第二代までだろう。

ナンバー2の司馬氏が力を持ち、事実上ナンバー1になっている。

名目上ナンバー1の曹氏は、傀儡のようなものになった。

最後は曹奐が司馬炎に禅譲させられる。

つまり強制的に国を譲らされた。



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2021年03月10日

邪馬台国4

塚原古墳群

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posted by kiuchi at 16:10| 邪馬台国 | 更新情報をチェックする

邪馬台国3

邪馬台国は、伊都国であった吉野ヶ里遺跡から南に水行十日。

現在のどこか。

熊本と仮定する。

そして完全に個人的な感情だけど、熊本市の南にある塚原古墳群を推す。

塚原古墳群は高台にあり、そこには卑弥呼がいた。

その北側を中心に広がる田園地帯が、邪馬台国の中心部だった。

有明海から、熊本市を流れる緑川に入って遡っていくと、ここ、邪馬台国に到着だ。

ちょうど伊都国=吉野ヶ里遺跡から水行十日、陸行一月。



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邪馬台国2

伊都国=吉野ヶ里遺跡から水行十日、陸行一月で邪馬台国に着く。

そこはどこだろう。

ここで一つの説、「邪馬台国=熊本の阿蘇」というのが夢のあるものだったので、仮にそことする。

活火山、阿蘇山の麓は、シャーマン卑弥呼の居る場所としてしっくりくる。

阿蘇までは、吉野ヶ里から筑後川を下り、有明海を南下して、今度は熊本のどこからか川を遡る。

水行十日ということだから、距離的にも合うんじゃないだろうか。

陸行ルートはわからないけど、山越えとかあって大変そうだ。

水行と比べて三倍の時間がかかる。


でも個人的に一番推してるというか、ここだったらいいな、という願望は、熊本市の南にある塚原古墳群だ。


つづく



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邪馬台国1

久しぶりに邪馬台国を考える。

邪馬台国へのルートは

帯方郡 (ソウル近辺)→ 狗邪韓国 (釜山近辺)→ 対馬国 (対馬)→ 一大国 (壱岐)→ 末盧国 (唐津近辺)→ 伊都国 → 奴国 → 不弥国 → 投馬国 → 邪馬台国

末盧国までは大体の場所わかるけど、問題はそこから先。

釜山から対馬、壱岐、唐津までそれぞれ一海千余里づつ、そこから東南に陸行五百里で伊都国。

末盧国より先の伊都国からは説がありすぎてわからなくなる。

その中の一つの説は、伊都国=吉野ヶ里遺跡だ。

確かに、唐津から東南に国道を進むと、吉野ヶ里の方向に行く。

伊都国を吉野ヶ里遺跡とするのはピッタリで、夢が広がる。

そしてここから先、魏志倭人伝での書き方が変わる。

伊都国を中心に、そこから奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国までの行程を示している書き方になる。

吉野ヶ里遺跡から東南に百里行くと奴国、東に百里行くと不弥国、南に水行で二十日行くと投馬国に着く。

そして南に水行で十日、歩いて一ヶ月行くと邪馬台国。

九州の地図を見てみる。

吉野ヶ里からだと、船で行く場合は筑後川を下って有明海に出て南下していく。

筑後川を川下りしていくような船だから、小さな船で、陸沿いに離れないように進むんだろう。

船というより、筏みたいなものかもしれない。

それで10日進む。


つづく



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