そこで見たのは、邪馬台国そのものだった。
魏志倭人伝に記された邪馬台国の姿があった。
高い物見櫓、巨大な祭殿、竪穴式住居、高床式倉庫など、様々な建物があり、城柵、堀に囲まれた広大な環濠都市。
ここに来たことで、邪馬台国の場所は、自分の中では確定した。
少なくとも魏志倭人伝に書かれている邪馬台国は、吉野ヶ里のことだ。
もちろんその後、都を移したりする遷都もあるだろうし、いつまでもそこが邪馬台国の中心部なわけはない。
肝心なのは、女王卑弥呼のいた場所がそこということだ。
問題は、丘の上にある、歴代王の墓といわれる北墳丘墓の時代だ。
弥生時代前期から中期と、後期の卑弥呼より時代が早い。
しかし、その隣の更に高い場所に、まだ未発掘の「謎のエリア」があった。
そこは神社があったため、今まで手がつけられずにいたのだった。
ところが神社が移転し、昨年ついに謎のエリアが発掘されることになった。
すると弥生時代後期、卑弥呼の時代の甕棺が続々と出てきた。
そして一番高い見晴らしのいい場所に、独立した石棺墓が見つかった。
これこそ卑弥呼の墓だ!、と興奮してしまった。
その石棺墓のフタが昨日、開けられた。
中は土砂で埋まってたということなので、形の残ってるものは少ないかもしれない。
これから調査を進めていって、何がわかってくるか。
夢が膨らむ。
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