2011年10月13日

もうひとつのチャンピオンベルト(妄想)

 カンカンカーン!! 

最終ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。

すぐに判定結果が発表される。

レフェリーが両者の腕をそれぞれ掴み、同時に左右両方とも上げた。

ドロー!

フルラウンドお互い死力を尽くした戦いは、引き分けという結果で終わった。

でもこれ以上の感動はなかった。

本当によくやった。

本当によく頑張った。

本当にお疲れ様。


Uさんの、「おやじファイト」R40ヘビー級タイトル奪取の快挙からわずか2週間後、もう一つの壮大な物語が完結。

 

子供の頃から野球をやってきたHさんが、ずっと興味を持ち続けていたスポーツがボクシングだった。

たまたま家の近くにボクシングジムがあり、それがまだできて1年ちょいのKSジム。

そこで41歳になっていたHさんは、好きなボクシングを、自分の最後のスポーツとしてやってみようと思う。

2010年8月、東村山市の久米川駅前のKSボクシングジムの門を叩いた。

年齢が年齢なので、もちろん本格的に試合をやるとかいうわけではなく、あくまでボクシングに触れるぐらいのつもりで。

それがまさかの、思いがけない方向に進んでいく。

ジムにはちょうど一年前に入会し、「おやじファイト」 デビュー戦を間近に控えた47歳のUさんがいた。

これが 「おやじファイト」 との出会い。



 「おやじファイト」なんてものがある。

しかも、同じジムで年上のUさんがこれをやっている。

ジムに通って練習を続けていくと、次第にHさんの胸の内にメラメラと燃えてくるものがあった。

自分もやりたい! 

いつかそのうち。

目標ができ、それに向けて寡黙にコツコツと練習を続けた。

元々戦闘能力はけっこうあったんだろう。

実戦練習のスパーリングもどんどんこなすようになり、「おやじファイト」デビューは時間の問題になった。

ジムに入会してまだ一年足らずの2011年7月17日(日)。

あの日は忘れもしない。

ついに迎えた「おやじファイト」デビュー戦、最初から圧倒的な攻撃を仕掛け、1ラウンドKO勝ちを収めてしまった。

強い!

H、42歳の夏。



 衝撃の「おやじファイト」デビューを飾ってから少し経った頃、Hさんは以前知り合ったY氏の言葉を思い出した。

Y氏とはボクシングつながりで、ボクシングのことに関してはとても詳しい。

Y氏 「海外ではプロボクサーの年齢制限はありません。」

ある日、Y氏と話す機会があったので、そのことについて詳しく教えてくれと頼んだ。

Y氏 「Hさん、あなたもやろうと思えばできますよ。興味ありますか?」

えっ! まさか。

もちろん興味はある。

でもそんな夢のようなことが。


 Y氏の非現実的な言葉が、Hさんの頭の中にいつまでも残っていた。

不可能と思っていた、プロのリングに上がれる道が本当にあるのか。


それからY氏と会うと、いつも自然に海外プロデビューの夢を語るようになった。

ある日、Y氏がきっぱりと言った。

Y氏 「Hさん、あなたの夢を実現させようじゃありませんか。」

Hさん 「はい、お願いします。」

Y氏 「じゃあ私に全て任せてください。」


最初は非現実的な話として聞いていた、海外プロデビューの話。

決断だった。

そして実現に向けて全ては進んでいった。



 ボクシングに並々ならぬ情熱を注ぐY氏は、Hさんプロデビューに向けて動き出した。

それからは次々と、物事は進行していった。

そして全ては決定した。

2011年10月9日(日)タイの首都バンコクで。

国技ムエタイ、ボクシングの殿堂、ラジャダムヌンスタジアムでの4回戦。

もちろんタイ国ボクシングコミッション認定試合。


それからのHさんは、雰囲気が一変した。

練習中、背中から気迫がみなぎっている。

スパーリングもプロ相手が中心になったし、そのラウンド数も増やした。

練習内容からいえばプロ並みだった。

その間、「おやじファイト」の先輩、Uさんがタイトルマッチで勝利し、ベルトを持ち帰った。

ジムがこの快挙に盛り上がっている中、Hさんは近づいてくる試合に黙々と向かっていた。

そして10月9日はどんどん迫ってくる。



 10月8日。
 
試合に向けて、日本を発つ日がやってきた。
 
試合に対して、前日行って翌日帰るという、かなり強行スケジュール。


スケジュール 

8日 午後出発、夜バンコク到着

ホテル泊

9日 朝計量、夜試合

ホテル泊

10日 夜バンコク出発、翌日朝到着


Y氏もHさんも仕事があるから、ギリギリの日程調整だった。



 ANA機はバンコクに着陸した。

もう深夜で、Y氏はいつものようにタクシーにぼったくられて、Hさんと共にホテルへ。

Y氏 「いつもぼったくられるんですが、夜中だし足元見ているんでしょう。 日本円にしてみれば大した額じゃないし、めんどくさいのでいつも乗って払っちゃいます。」


翌日朝。

AM6:30

計量会場のラジャダムヌンスタジアムへ行くと、すでにほとんどの選手、関係者が集まっていた。

全ての選手はタイ人。

みんな精悍な顔つきで、やたら強そうに見える。

ドクターチェック、計量をする。

ちょっと慎重になりすぎて、体重は5ポンドアンダー。

少なすぎるから、もうちょっと増やしてもう一度計量しろ と言われてしまう。

スタジアムに隣接した、食堂というより大きい屋台のような所で軽食をとる。

そして計量場所に戻り、服を着たまま再び量りに乗る。

2ポンドぐらいアンダーだったけど、今度はOK。

さあ、これで試合への全ての準備は終わった。

あとは夜、運命のリング。



 夜試合を控えた選手にとって、恐怖とプレッシャーで生きた心地のしない昼間。

今日は長い長い一日。

今日はHさんの人生史に、燦然と輝く1ページとなるだろう。


日が落ち、いよいよラジャダムヌンスタジアムへ向けてホテルを出発。


今日のプログラムは全10試合。

そのうち9試合はタイ式ボクシングのムエタイで、最終10試合目が国際式ボクシング、Hさんの試合だ。


国技であるムエタイは、試合毎に儀式なんかがあったりして、進行が遅い。

18:30開始の試合は、Hさんの出番が回ってくる頃には22:00を過ぎていた。

さあ、もう逃げも隠れもできない。



 第9試合が終わり、Hさんの出番がきた。

静かな表情を浮かべ、リングへ向かう。

一歩づつリングへ向かい、階段を上ってロープをくくる。

堂々と、ラジャダムヌンスタジアムの、プロのリングに立つ。

もうやるだけ。


開始ゴングが鳴る。

練習通り、ジャブをついていく。

そこから得意の右、右、右。

相手も落ち着いていて、簡単には当たらない。

2ラウンド、3ラウンドと進むと、乱打戦の場面も多くなってきた。

Hさんのパンチが当たると、相手も怯まず打ち返してくる。

相手のパンチをまともにもらう場面もあったけど、Hさんも全く怯まず打ち返す。

Y氏は試合前、語っていた。

「クリーンヒットもらって、その後一発でも追撃打もらったらすぐタオル投げます。」

「少しでも足にきたら、その時点でタオル投げます。」

その場面は皆無だった。

相手のパンチをものともせず、必死に打ち合う。

4ラウンド、最後まで果敢に戦い終了ゴングを聞いた。

判定はドロー。 引き分け。

よくやった。

十分だった。

感動で震える。

プロボクサーH 42歳。 

聖地ラジャダムヌンスタジアムのリングの上で、最高に輝いていた。



*この物語はフィクションです。 全て妄想です。




posted by kiuchi at 11:12| Comment(0) | もうひとつの | 更新情報をチェックする
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